噛むことは、神事「かみごと」とされると、ひすいこたろうさんの『幸せを超えるノート』を読ませていただいて知った。ゆっくり咀嚼し、味わうことは、五感を研ぎ澄ませ、感性を磨くこと。そしてその行為は、第六感を幸せに開いてゆくことにつながるのだと。
長い保育士生活で、すっかり早食いが得意になっていた。家でも、とにかくまずは家族にご飯を食べてもらうことが最優先。自分は残ったものをキッチンの隅でササっと食べ、終わるなり今度は皿洗いに洗濯、明日の準備、お風呂、子どものお迎え…と、世の中のお母さんたち、きっと皆様そうやって、つい自分のことは後回しになっていると思う。
さて、退職して、一人でお昼を食べられるという贅沢な時間が生まれた。
丁寧にゆっくり味わうことへの憧れ…ついに解禁。
玄米に雑穀米を混ぜたもの、そして地元農家さんで買った菜の花のおひたし、野菜たっぷりのお味噌汁、おととい漬けた新生姜の甘酢、納豆、茹で鶏むね。座布団に座って、手を合わせて、いただきます。
「美味しい…」
じいん、と頬が落ちる感覚と、思わずこぼれたひとこと。ついすぐに次のおかずへと箸が伸びてしまう気持ちを抑え、噛んで、味わって、飲み込んで。
美味しい、あぁ、美味しい…!うわぁ、、美味しい・・・!
大げさではなく、本当に、びっくりするほど美味しいのだ。
まずここで驚いた変化が、鶏むねにかけていたドレッシングが、濃すぎる、と感じたこと。
そこで、だし醬油を一滴。なんとこれで十分!
味噌汁も、普段なら薄いかも、と感じる程度のかつおだしメインの味付けにしていたが、だしの風味が鼻から心地よく抜け、とても香り高く、麹味噌の程よい甘みも感じられた。
菜の花の苦み、その奥にある春の息吹。新生姜の柔らかさ。粒がそれぞれ個性を主張する雑穀米と玄米は、白米とはまた違った香ばしさを持つ。
食べ終えた後の、何とも言えぬ幸福感。満足感。食事そのものの、常識を覆すような一食。
「これが、丁寧に味わうということなのか・・・」
得体の知れない、多分、悟りに近いような感情を抱きながら、手を合わせ、ごちそうさまでした。
人生を豊かにするって、こういうことなのかもしれない。
実は、たった数日こうして味わう食事をしたことで、続々と驚きの変化があり。②でその変化についてお話ししますね。
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