元気そうに振る舞ってはいるけれど、多分はたから見れば何の変化もないけれど、私は今やはり、何かが胸につかえている。
これから書き出そうとしている過去のことではない。お金のことは確実に悩んでいる。それから、子どもたちの生きる環境のこと。
それを自分ごとにしない、子どもたちの人生であり、どんな選択をしても全てに意味がある。そして、間違いなどひとつもない。それは重々承知。なのに、まるで私が選択を迫られているようなこの重たい感覚。じっくり、じわじわと胸を締め付けて苦しめるような感覚。答えは決まっている。娘が考えて、選択し、決断する。と、いうことを、私が伝える。
子どもの人生に、親が何をしてやれるか、どこまでやってあげられるか、という話題が出た。以前なら、流されていたと思う。その通りかもしれない、と頷いていたと思う。
でも今は違う。
私が口を出すことや、道を示してしまうのは、彼女の人生を狂わせる要因となる。それはどんなアドバイスもだ。それでも余計なお世話をゼロにはできないだろう。ついついあれこれ言うだろう。でも今回突きつけられている選択に、私は何も言ってはいけないと感じる。そう例え、そこから離れて欲しいと切に願っていたとしても。
腑に落ちぬ矛盾が私の胸をかき乱している。なぜ究極の選択を迫るのか?どちらかを選ばなくて良いという前提を今更になって覆す愚行に腹立たしくもある。じわじわと彼女の周りに対して悪口を並べ立て、まるでその環境にいることが害になるような感覚さえ与えているように思う。そして彼らは、全くもってそのことに気付いていない。それどころか、善意、救済、慈愛の精神だと思っているのだ。
私はもう、流されない。ただ一つ。彼女が行きたい、生きたい道を選んで欲しい。その一点に心を置きます。

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