今日は沈んだ気分

ありがとう未来の私。

すごくすごく楽しみだなぁ、その場所に行くの。

けれどね、まだまだ色んなことで躓いてる。あんなに穏やかだった心持ちも、また「ない」現実に晒されて一気に暗雲が立ち込める。ちょっとした出費にも、ケチをつけたくなる始末。

見よ、これが本当さ。つべこべ言わずに、労働にまた身を預け、毎月自動的に振り込まれるお給料で満足したらいい。

そんな声さえ聞こえてくるよ。

本当にこの道で合っているのか不安だらけだよ。

なんで引き戻そうとするんだろう。それなりの苦しみにいれば、それなりの生活が保障されているっていう人生を、少し長くやりすぎてしまったかな。

思えば、「これで合ってるのかな?」「こっちのほうがいい?」「どうしたら正解?」って、他人の正しさの中に私の正解を求める人生だった。「それって違くない?」「そんなの変だよ」「えっそっちにするの?」という声に、何でだかとても怯えてる自分がいた。それは多分今も変わらず残っている。

心の奥底では、本当はこうしたかったな、ってひとり言呟きながら。

聞こえないんだよ。よく声が小さいって言われてたな。なんでこんなに自信がないんだ?なのにどうしてこんなに自信ありますって顔で生きてるんだ?

矛盾だらけの心で、また本心が隠れてしまう。見えなくなって、沈んだ心のまんま、家族のなかでモヤモヤと笑う私になる。

掴みかけていた一筋の希望も、まるで心を映し出すかのような上下の変動を見せて、私を試しているんだ。

けれど前と違うことがある。

私は、この波に逆らわない。

無理に「ある」と思わないし、ポジティブでいようともしない。メソッドは、体感や体験として深く浸透していない内は毒みたいに作用することがある。こんな心持ちの日は特に。

だから、ただ身を委ねる。今日も健康で、3食食べて、仕事までできた。合間にこうやって気持ちを綴る時間まで持てた。子どもの送迎もしたし、ご飯も作ってお皿も洗って明日の準備までできた。

そう今日も、すごくちゃんと生きられたんだよ。やりすぎなくらいに。こう書き出してみるとね、自分を褒めずにはいられなくなる。毎日えらい!って。

おそらく自身を許してあげられるハードルがべらぼうに高い。何なら、朝起きて、顔洗って歯磨いただけでも十分えらいよ。本当よくやってる。

今日は、そんなこんなの曇り空な心境でした。

空は秋晴れ。風もおだやか。売り上げは少なめですが、仕込みから片付けまでちゃんとよくやれたんだよね。チャートの上下にも飲まれず、上昇信じて過ごしました。

こんな私を見て、どう感じるのかな。

また、お手紙ください。

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