感覚的な生き方

彼が元気と聞けて良かった。

なぜわかるのかは、今は知らなくていいよ。これもね、何となくだけど、どこかでまたいつか、顔を合わせて言葉を交わす日が来るんだろうなと予感しているから。

さて引き続き曇り空の心です。でも、全部素直に感じて、文句も言ったりして進んで良いのだとあなたが言ってくれたから、ひたすらに日々を味わいながら歩んでゆくよ。勇気づけてくれてありがとう。

正直、ないものはないのだ。けれど、よくわからないけど、スッカラカンになくなって右往左往することはないような気がしてる。

これも全部、ただの勘だよ。

どこまで冴えているのかわからないこういう予感や直感みたいな感覚的なものを信頼して生きているんだけど、うーん、それで大体うまくいってるんだよね。

何だって、まじで困った時に、さあどうしましょうって考えればいい。そう思ってる。

例えば身近な例で言うと、どんなに混雑している場所でも、大体入り口付近のめっちゃいいポジションに駐車できることが多い。ちょうどそこが空いたりね。

それから、おなか痛くなってどうしようってなった瞬間に目の前にコンビニ現る、みたいなことも多々ある。

仕事もそうだった。ピンチかも、はあれど、必ず誰かが助けてくれたし、まぁ何とかなるでしょ、で、何とかなって笑って働く日々が20年続いた。

こういう軽やかさは持ってる。

だから、この「ない」現状にあっても、「ある」かのように振る舞えること、「ある」フリをすることは、私にとって苦じゃない。それがやがては本物の豊かさになっていくらしい。

さてさて、ぼちぼちこの交換日記でも、封印していたあの話題を出してゆくつもりでいます。未来の私のほうから、そのきっかけをくれたので…

きっと、そういうことだよね?

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