もともと保育士になりたかったわけではなかった。
小さいころからお絵描きが好きで、小学生になると、自由帳に漫画を描くのが趣味になっていた。外で遊ぶのはあまり得意ではなく、放課後も、暇さえあれば漫画ばかり描いていた。
「りぼん」の漫画コンクールに応募して、いつか漫画家になる、と、考えていた時期もあった。中学生になり、友達に誘われたソフトボール部があまりにハードで土日も休みなく、いつしか漫画を描く時間はなくなっていった。
きつい部活を終えると、今度は塾。
塾も友達に誘われるまま入ったものだった。この頃の私は、とにかく流されやすく、断れない性格で、それでいて自己主張もしたい、でも積極的に目立ちたくはない、誰か気付いてくれたらラッキーという、今思えばこじらせ系思春期陰キャ(外ヅラだけ良し)だった。入りたくもなかったのに、と文句を言い、部活と塾の愚痴ばかり家でこぼし、よく母は耐えてくれたと思う。私なら我慢できず、娘に「友達のせいにするな!おまえが決めたんだろ!!」と怒鳴り散らす。ぜったい。
脱線してしまったけれど、そんな多忙(自分のせい)な生活に潤いをもたらしたのが、音楽だった。
J-POP最盛期と言っても過言ではない、90年代。私はドラマ「ピュア」の主題歌をきっかけにMr.Childrenと出会い、その歌詞の奥深さに感動し、これまた安易に作詞家を目指すことに決める。(Mr.Childrenに関しては、また別カテゴリでゆっくり語らせていただきたい。30年間ファンです。)
ちなみに、ヴィジュアル系バンド(La’crymaChristi、FANATIC♢CRISIS)にもハマったし、シャ乱Qも大好きだった。あとはとんねるずのタカさん、ネプチューン、フォークダンスDE成子坂などなど。お笑いも熱い時代でした。ボキャブラ天国、何度録画を見返したことか。
またまた脱線しましたが、J-POPは生活の一部となり、ラジオの音源をカセットに録音して聴いたり、図書館でミスチルやスピッツのCDを借りて歌詞カードを熟読したり、今思えば好きなこととことんやって、充実した毎日だったなぁ。と。それで、授業の合間にも自分なりに考えた歌詞をノートのすみっこに書いたりして、ますます作詞することが楽しくなっていった中学時代。
高校受験は、自転車で行ける近さと、ほぼ絶対に受かる偏差値のところを選び、無事合格。
新しいことをしたい、変わりたい、という思いを胸に、高校では剣道部に入部。
この、高校選びと部活の選択が、一つ目の大きなターニングポイントとなる。
長くなるのでまた次回へ。
自分のためみたいな自伝を、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
コメント